
滝川 日本の照明デザイナーの草分けとして、40年以上、国内外に美しい“あかり”を灯し続けてこられた石井さん。また3月の大震災後は、“あかり”で日本に元気を届けたいと、東京タワーに「GANBARO NIPPON」の光の文字を描かれ、さらに東京・丸の内で開催された「光都東京・ライトピア2011」も手がけられて……。でも、震災直後には、いろいろな葛藤やご苦労もあったそうですね。
石井 3月11日のあの大災害は、おそらく日本人みんなにとって、いろいろなことを考え直すきっかけになったと思います。「私たちの生き方はこれでいいんだろうか?」と、それぞれ自分に問いかけただろうと思います。また、照明デザインというのはどうしても電気エネルギーを使いますので、私も、今後はいったいどういう風にしたらいいだろうかと思いましたし、まずは福島の方たちには本当に申し訳ないという気持ちになりました。でも、かといって今、電気がなかったら、コンピュータにしろ家電にしろ交通にしろ、およそ現代の文明生活のすべてが成り立たなくなってしまいます。だから、非常に少ないエネルギーを上手に使っていかなきゃいけないと強く思いましたし、またある意味では「これはチャンスだ」と思い直したんですね。
滝川 それは、石井さんが1980年代からいち早く、太陽光発電や風力発電を取り入れてこられた、“省エネデザイナーの先駆者”でもあられるからですね。
石井 私は1980年代から、許される限り太陽光発電や風力発電を積極的に取り入れてきました。例えば東京港レインボーブリッジのケーブルイルミネーション、実はあの4割は太陽光発電を使っているんです。主塔という塔の上に太陽光パネルを付けて使用電力を賄う。これも20年も前の話です。また最近、下関市からの依頼で、宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘したという巌流島の照明デザインを手がけたのですが、これも全部太陽光発電を使っています。
滝川 さらに、石井さんはご自宅もすべて太陽光発電にされているとか。
石井 12年前に家を建てた時に、迷わず屋根に太陽光発電装置を付けました。これは発電量が3.5キロワットで、そうすると住宅の電気はほとんど賄えるどころか、お釣りがくるぐらいなんです。照明は、当時はLEDがなかったので全部コンパクト蛍光灯で間接光の柔らかい光にして、あとは冷蔵庫と、ときどき洗濯機や空調を使うぐらい。残りの“お釣り電力”は、電力会社に買っていただいてます。ですから、私はいつも「我が家には発電所がある」と言っているんですよ(笑)。