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「24時間仕事バカ!」の熱狂人生 資生堂を“闘う集団”に変える! 魚谷雅彦 資生堂代表取締役社長

「24時間仕事バカ!」の熱狂人生 資生堂を“闘う集団”に変える! 魚谷雅彦 資生堂代表取締役社長

創業1872年。連結売上高約7620億円。従業員数約4万7000人。日本を代表する名門企業のひとつ、資生堂が変わり始めた。きっかけは経済界に衝撃を与えた、外部からの新社長登用だった。

電報と手紙が600通を超えた

 都内のあるホテルのラウンジへ足早に向かっていたのは、2013年11月。その年の春から、旧知の間柄だった当時の資生堂、前田新造社長の依頼で、顧問としてマーケティング改革を推進。資生堂にどんな課題があり、どう変えるべきかについて求められ、プレゼンテーションも終えていた。
 ラウンジで向かいに座ったのは、そのプレゼンにも同席していた社外取締役。彼はその時、後継社長を選ぶ役員指名諮問委員会のメンバーでもあると語った。初耳だった。そして次の言葉に、魚谷雅彦は耳を疑うことになる。“後継社長の最終結論が出て、あなたにお願いすることにしたいと考えています”。
 「それはもう本当にびっくりしました。思ってもみないことでしたから。何より僕には自分の会社がありましたから」
 決断までには2週間を要した。悩み抜いた結論は、受諾。だが、事の重大さを改めて悟ったのは12月24日、午前中の取締役会で就任が承認され、午後に行われた報道発表会の場だった。想像をはるかに超えた記者の数。ずらりと並んだテレビカメラ。魚谷の資生堂社長就任の報道は、NHKの夜7時のニュースでも報じられた。
 「ここまで大それたことだったのか、と。実際その後、大騒動になりました」
 翌日までに届いたお祝いメールは100通以上。電報と手紙は600通を超えた。
 「今でも印象に残っているのは、全員がこの決断を褒めてくださったことです。そして、資生堂がいかに素晴らしい会社か、書かれていました」
 しかし、その資生堂にちょっと元気がなくなっている、とも加えられていた。日本を代表する会社だからこそ、ぜひ頑張ってほしい、応援する、と。
 報道の翌日、汐留の資生堂本社オフィスに魚谷の姿があった。この時の行動こそ、極めて魚谷らしい。22階の社長室のフロアから4階まで、階段を使って降り、社員が働く全フロアに出向いて、自ら挨拶して回ったのだ。社員は新社長自らの来訪に驚いた。そして同時に、その晴れやかな笑顔を強烈に記憶した。

魚谷雅彦

Masahiko Uotani

1954年、奈良県生まれ。同志社大学文学部卒業後、ライオン入社。83年、コロンビア大学MBA。シティバンクなどを経て、94年に日本コカ・コーラ副社長。2001年、代表取締役社長。07年、ブランドヴィジョン設立。14年より現職。

ICHIGANプロジェクト

自らオリジナルジャンパーを着て、真っ先に現場に飛びこむ

魚谷が発案した、すべての社員の活動を顧客との接点に集中させるプロジェクト。自らオリジナルジャンパーを着て、真っ先に現場に飛びこむ。訪れたのは栃木のカワチ薬品。

全国一斉展開の様子は本社の一角に貼り出され、誰でも見られるようにした

全国一斉展開の様子は本社の一角に貼り出され、誰でも見られるようにした。

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