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闘う建築家の超仕事術 安藤忠雄 Vol.01 - ANDO TADAO SPECIAL INTERVIEW -|私が出会った驚くべきリーダーたちの決断の瞬間

闘う建築家の超仕事術 安藤忠雄 Vol.01 - ANDO TADAO SPECIAL INTERVIEW -|私が出会った驚くべきリーダーたちの決断の瞬間

閉塞感漂うこの時代、「そんな生き方じゃダメだ」と声を大にして言う安藤さん。そして、元気のない我々に「日本にはこんなすごい男がいたんだ」と熱く語る。それは日本人の人間力を取り戻すための、安藤さんのメッセージだ。 安藤忠雄氏
 安藤忠雄のアトリエは、大阪梅田駅からクルマで5分ほどの静かな住宅地にある。地上5階地下2階、打ち放しコンクリートのビルだ。静止した液体のように滑らかなコンクリートの壁面に、緊張感のある機能美が漲っている。入口のドアに至るまで、余分な装飾は一切ない。
 1980年からこの場所にあったというから、佐治敬三も樋口廣太郎も、みんなここに立ったのだと思うと感慨深かった。幾度か増改築が加えられているので、まったく同じ建物を見上げていたわけではないにしても、受けた印象に大きな差はないはずだ。
 ふと思った。彼らはここでこのコンクリートの壁面を見上げた瞬間に、安藤に仕事を依頼することを決めたのではなかろうか。そして密かに微笑みながら、入口のドアを開けたのだ。この縦横の直線で構成された潔い美の向こう側に潜む、強烈な個性を彼らは愛したのだと思う。

 アトリエの入口を開けると、太陽の光がガラス張りの天井越しに木漏れ日のごとく降りそそいでいた。その光と一緒に、聞き覚えのある大声が真上から降ってきた。見上げるとコンクリートの箱の内部は1階から最上階の5階まで吹き抜けになっていて、声はその上の方から落ちてくる。
 上方落語の師匠を思わせるだみ声が誰の声かはすぐにわかったけれど、その声に混じって若い女性の声が聞こえる。しかもドイツ語だ。どうしたものかと戸惑っていると、4階のテラスから安藤の顔が覗いた。構わず上がって来いと言う。地上5階地下2階のビルなのに、内側はまるで彼が少年時代を過ごした大阪下町の長屋のようだ。大声を出せばどこにいても聞こえる。
 呼ばれて上がった4階には打ち合わせ用の大テーブルがあって、安藤はそこでスイスのテレビ局のインタビューを受けていた。
 東日本大震災復興構想会議の議長代理を務めていることもあって、海外のメディアからの取材が増えたらしい。この世界的な建築家が、破壊された土地にどんな未来都市のビジョンを描いているかに興味があるのだろう。震災報道が始まって1年が経とうとしている。欧米のメディアだって、そろそろ日本に関する明るい話題が欲しいのだろう。
 けれど、安藤はそういう話にはちっとも乗ろうとしなかった。建築以前の重要な問題を熱心に語っていた。ドイツ語の通訳が間に入っているせいもあるのだろうが、インタビューはなんだか微妙にかみあわない。
 「このままでは日本は沈没する」
 何度も沈没という言葉を繰り返した。
 「今の日本は、東日本大震災も含めて大変な状況になっています。先行きはまったく見えないし、このままでは間違いなくもっともっと悪くなる。日本は今までに奇跡を2回起こしました。1868年の明治維新と1945年の敗戦です。明治維新で日本は幕藩体制をぶち壊して近代国家を作った。そして太平洋戦争に負けて焼け野原になった日本は、わずか数十年で復興し、世界で2番目の経済大国にまで成長した。2回も奇跡を起こしたのだから、今回の危機からも必ず立ち直れると世界の人は言ってくれる。日本人の多くもなんとなくそう思っているんでしょう。だけどこの国が3度目の奇跡を本当に起こせるかといったら、私は大変難しいと思う」
 安藤は焦っていた。本気で日本の将来を案じていた。我々のインタビューも、そのままのテンションで始まった。
 挨拶も前置きも一切なし、思いが言葉となって機関銃のごとく溢れ出る。上方落語の師匠だって、なかなかこうはいかない。
安藤忠雄建築研究所(大淀のアトリエ) 安藤忠雄建築研究所(大淀のアトリエ)

1973年の処女作「冨島邸」を後に買い取り、増改築を繰り返してアトリエに。5層吹き抜け空間で、天窓から光が注ぐ。

住吉の長屋 住吉の長屋

三軒長屋の真ん中の1軒を切り取り、中央の3分の1を中庭とした鉄筋コンクリート造りの小住宅。採光は中庭からのみという斬新さ。

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