ウェブゲーテは日経電子版とのコラボレーションサイトです

日本でフランク ミュラーを育てた男

喜怒哀楽! ともに歩んだ四半世紀のストーリー
天才時計師(フランク ミュラー)が
絶大な親愛を傾ける男

フランク ミュラーは、ブランド創設後、瞬く間にトップブランドに成長した。その歴史を語るうえで欠かせない重要人物のひとりが、河合寿也である。天才時計師と彼が作る時計に心酔し、真の時計文化を河合は日本に伝える。

ワールド通商〈フランク ミュラー ジャパン〉
代表取締役社長
河合寿也

左:河合寿也、右:フランク ミュラー

これまでの人生の半分をフランク ミュラーに

京都・東山の高台寺は、豊臣秀吉の菩提(ぼだい)を弔(とむら)う名刹(めいさつ)である。その山門(さんもん)近くに、戦前の日本画壇を牽引した竹内栖鳳(せいほう)が、自宅兼アトリエを構えていた。現在は、レストラン「THE SODOH(艸堂)」として多くの人を招き入れるその広大な日本庭園に、去る11月、天才時計師フランク ミュラーの姿があった。

スイス高級機械式時計ブランド、フランク ミュラーは、毎年1月に新作時計発表会「WPHH」を、その製作拠点であるジュネーブ郊外のウォッチランドで開催している。そして2013年以降、11月にここTHE SODOH(艸堂)を舞台に「WPHH JAPON in KYOTO」の名で新作を披露。フランク ミュラー本人も来場し、ファンと交流するのが恒例だ。

これを企画したのが、河合寿也である。13年4月、フランク ミュラー輸入総代理店・ワールド通商の代表取締役に就任。その最初の大仕事が、「フランクといつか実現したいねと語り合っていた」という、京都でのWPHH開催であった。

「23歳でフランク ミュラーと彼の時計に出合って、今は46歳ですから、人生の半分を一緒に歩んできた計算になります。人生を振り返ると、ふたつのことしかやってこなかった。学生時代はラグビー、社会人になってからはフランク ミュラーひと筋」

  • TOSHIYA KAWAI
    1970年神奈川県鎌倉市生まれ。93年6月フランス国立カーン大学フランス語科卒業。同年11月、笄(こうがい)兄弟社に入社。98年、フランク ミュラーの輸入代理権の移行に伴いワールド通商へ移籍。2013年、ワールド通商代表取締役に就任する。

Let’s SHARE:

共有

  • この記事をはてなブックマークに追加
  • この記事をmixiチェックに追加
  • この記事をLinkedInに追加
閉じる

Text=髙木教雄 Photograph=鞍留清隆、山本慶太(Nacasa &Partners)、山下良一

*本記事の内容は16年12月取材のものに基づきます。価格、商品の有無などは時期により異なりますので予めご了承下さい。 14年4月以降の記事では原則、税抜き価格を掲載しています。(14年3月以前は原則、税込み価格)

NOW ON SALE GOETHE GOETHE5月号
全国書店で発売中!

RANKING

INFORMATION